「来世では、子が舞い」2022年6月25日

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アンパンマンについて知らなくても全く悔しくないので面白くなかった。幼児期は母親によって与えられるコンテンツがコントロールされていたのでアニメや特撮の類をほとんど見ずに育った。代わりに恐竜にハマらされた。30代の人間でも常識なのに、コキンちゃんすら知らなかった。うっすら見覚えもないではないけど、それもTwitterで見た気がする。

 

・最近はよく寝ているが、夢を覚えていることは少ない。きっと睡眠をグラフにしたらずっと血を這っているのだろう。見たとしても、あまり荒唐無稽な内容のものがないのが、何とも物悲しい。明晰夢とかもバンバン見たい。自分の悲鳴で飛び起きたい。

 

・頻出ツイート100選を作れる観察力と思考力があるのに、こういうことを結構な頻度で言うから驚いてしまう。なんて驚きに満ちた世界観なんだ。基本的に家でヘッドホンを使うことが多いからか、自分は基本的にヘッドホンを首にかけない。あと何か首がやたらに太いのか、首にかけると何か近未来の拘束具兼拷問器具みたいになるからと理由が大きいかも。首にヘッドホンをかけた状態で他のことをする気になれない。

 

・二次元と三次元の肉体の圧の差について個人的に思った話がある。『来世ではちゃんとします』という傑作漫画があるのだが、傑作なので当然のごとくドラマ化されている。内容には恐らく(ドラマ版はほぼ未視聴)差異はないのだが、生身の俳優が演じていることに忌避感を持ってしまったのだ。

 

・物語は下請けのCG制作会社で働く若者達が様々な悩みを抱えながら必死にサバイブしていく、というのが大筋だ。その際彼らの目下の悩みは現代的な承認欲求に伴う悩み、つまり性愛の悩みとなる。1人例外はいるものの、登場人物は美形とされている。ので、必然的にドラマ版でもそこそこの見た目の俳優が起用されているのだが、自分はその瞬間に一気に冷めてしまったのだ。一気に遠いものになってしまったのだ。それは恐らく自分のコンプレックスに由来しているだろう。現実の俺に関係ない男女のくだらねえ性欲の話を見せんじゃねえ!!!と思った。

 

・ここで不思議なのは、なぜ漫画だとこんなにも感情移入して一人一人の気持ちに寄り添って感動できるのだろうか。こんなにも愛おしく思えるのだろうか。感情移入と書いたが、この言葉は適切ではない気がする。彼彼女らの持つような具体的な悩みはそれなりに特殊なのでそれなりに距離をとって眺めることになる。むしろこの作品はそこのバランス感覚がすごいのだ。つかず離れずの距離で彼らの物語に寄り添わせてくれる(『グレートギャツビー』の主人公みたいだな)。そこにはある種漫画という装置による記号化によってある種のリアリティが排除されているのかもしれない。別のありうべき世界を眺めているような感覚だ。

 

・しかしドラマでは、自分のいる「この」世界での出来事になってしまうので、普段そういう人たちに対して取っている距離感をそのまま当てはめて作品を見てしまっているのかもしれない。やはり肉体のリアリティたるや、凄まじいものだ。自分は映画やドラマにはリアルな嘘であることを求めているのだろう。もしかしたら自分の世界もこうなのかもしれない、というワンクッションを踏まずに現実を捉え直すことは難しい。

 

・これはある種の弱さなのかもしれない。しかし自分にはまだフィクションが必要なのだ。

 

・『潮舞』8巻いつにも増して良かった。百々瀬が出る話は大概良くて、バーグマンと一緒だと尚良い。虎見と神社で喋る話もシンプルだがかなり好きだ。基本的に人を見下して生きているから、そんな他人が自分以上によく考えて悩んで、何かしらの答えを出して生きていることが明らかになると自動的にショックを受けてしまう。『来世ちゃん』もそうだ。

 

・『ガンダム』も段々面白くなってきた!!

 

・そういえばヨドバシのカードをつくろとして普通に自分のミスでめんどくさい事になったが、そんなことは些事だ。

 

・明日こそは出かけなければならないが、暑いのは困るなあ。