「ニーチェさん、そういうことですよね」2022年6月6月24日

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・30分でどれだけ書けるかチャレンジ きっかり30分で書くのやめる

 

・オモコロ杯の結果が発表されて、当該記事を読んでいて思ったが、全然心が躍らない。以前から思っていたが、オモコロが権威化していると改めて感じさせられた。なんかこの審査基準では第二のみくのしんが生まれることはないのではないか。自分のことをなろうと思えばいつでもオモコロライター程度にはなれるだろうと思って生きているが、こうも権威化されるともしかしてなれないんじゃないか?!と思ってしまう。オモコロ杯に投稿するやつなんてどうせみんなそんな感じの思考なんだから、応募総数の増加は必然的に絶望を与える人間を増やしているのだ。オモコロメンバーになろうとしててなれないやつなんて最悪なんだから。見ている側としてはそんなに面白くない。「審査」って権力だからな。俺は権力に腹を立てる人間。

 

・自分は力への意志を持ってマウントを取りたがる人間なので、上に立とうとしない人間の気持ちが、そうでないと分からないというならきっと分からないのだろう。これについて特にこれ以上言いたいことはないが、自分の終わり方が類型化されて捉えられてしまうこと、そうでしか理解され得ないこと、そしてそれは本質的な理解には永遠にならないことについてキレている。そしてそこにはまた権力性が介在していると思う。いらつくぜ。

 

・今日はいい作品を二つ見たぜ。

 

・『宝石の国』、面白いね〜。結構ストレートに面白かったな。面白いのはもちろん知っていたが、何となく入り組んだ話かと思っていた。その入り組み感の一因はキャラクターがめちゃくちゃ多い上にそれなりにみんな満遍なく出てくるし、みんなキラキラしてて顔も似てるからだ。単行本未収録話は雑誌掲載時のまま掲載されていたのだが、枠外のキャラクター紹介のありがたさが身に染みた。

 

・話は月に行くまでが一区切りとなっていてそこから話の方向性がかなり変わる。市川春子が仏教系(親鸞を読んでいたということは真宗系だろう)の学校を出ているのを踏まえずとも、仏教のモチーフがかなり色濃い。

あ、30分だ。書きます。

とはいえ作品における阿弥陀如来(システマチックな存在として設定されているのが面白い)は衆生を愛してしまったこと(この時点でばりばり煩悩だが)から、往生を願う人々の望みに応えず(彼らは一般的にみれば極楽のような場所に住んでいる)、懊悩している。死の概念がない存在にとって生は苦であることがよりソリッドに示され、往生ですらなく無になることを望む。それに対照的に宝石たちは日々を善く生きているのも興味深い。そんな中で半ば楽園のような世界に疑問を持ってしまった主人公はあらゆる執念の果てに「人間」になってしまう。

 

・仏教を齧ってるものとしてなんかそれっぽいことが言いたかったが、あまり上手く読めなかったな。単純に画面の構成というか、一枚一枚のショットが決まりすぎてて最高だった。DAYSのサブスク入っちゃおうかな。

 

・『ギャツビー』についてはまたいずれ。