「普通に暑いですよね?」2022年6月27日

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・昨日は眠いし足が痛いしで散々だったから寝た。本日は二本立てでお送りします。

 

・オモコロの動画を普段見ていても、あんまり肩肘張ってなくて自然体だなあと思って見ているが、コラボする回だと「腕」が見られて、小慣れてんなあと思う。

 

・人が怒られてるのは面白いし、怒る側と怒られる側に権力の非対称性がなければないほど、怒りの正当性が増すから安心してみてられる。

説教まで行くと一方的に喋る感じだが、怒られって漫才じゃないか。ボケとツッコミ。怒られも漫才も見る際には基本的にツッコミの立ち位置で見ることになるんじゃないだろうか。我々ツッコミの基準から逸脱するボケを咎める。漫才においてはボケのボケだけでは基本、笑いが生じず、ツッコミによってそれが指摘されることではじめて笑いが起きる。

 

・なぜこうなるかフィーリングで考えてみる。これは恐らく笑う側(観客)が自分の感覚を確認するためだ。ボケの逸脱した行動に対して、観客はそれを逸脱だと簡単に断じることはできない。なぜなら誰も何もアクションを起こさないからである。よもや、自分が異常なのではあるまいかと悩み、自身の価値観に照らしてどれだけ異常であるとしてもそれを行動で示すことはできない。そのような逡巡の直後にツッコミがボケを断罪する。なんだ、やはりあれはおかしかったんじゃないか、ふう、私はおかしくなかったんだなあ、安心安心。と周囲とその安心を確認するために大声をあげて笑うのだ。ツッコミの前に漏れる笑いもあるだろうが、それはあくまで漏れてしまったもので、ミスだ。ツッコミによって価値観が承認される安心で笑うのだ。周りが大ウケしているお笑いで笑えない時に必要以上に自尊心が傷つくのはこれが原因なのかもしれない。

 

・なるべく汗をかかないように激しく運動(早歩き程度も含む)しないようにしている。そうすると必然的に生活にゆとりを持たせる必要が生じる。酷暑によって生活習慣が改善されるかもしれない。どんなに生活が充実したとしても、ずっとこんな気温なんてまっぴらゴメンだが。

 

・勝手に1人で盛り上がってしまった時の恥ずかしさは中々のものである。今回は何となくミスの部分が大きかったからそこまででもなかったが、この温度感の違いを感じたくないために終わらせてしまった人間関係があるし、生まれなかった関係があるだろう。世の中の普通の人たちはこの恥ずかしさをどうしているんだろうか、世の中の人間は全員恥ずかしそうにしていないところが全くわからん。そんなものそもそもないよと言われればそれまでだが。物語でも、こういうのが一番きつい。俺も机を持ち上げて大暴れしたくなる。