「焚書坑ツ」2022年6月21日

f:id:shibumi1210:20220622223505j:image

・自分の書いたブログを見返してて気付いたけど、ネットの文書の書式として、可読性のために改行を頻繁にしてパッセージをコンパクトにしていくやり方が一般的だ。でもなんとなくTwitterの呪縛から逃れられていないように感じている。というのも、ブログを始めようと思ったきっかけの一つが、思考がTwitterに染まりすぎていて長く思考する能力が失われて来ているなと思ったからだ。これは140文字に収まった範囲でしか文章を読めないし、書けなくなってしまうということだ。当然のことながら、それなりにちゃんとした議論をしようと思ったら140字以内にまとめることなど土台無理だし、そして自分は大学生なのでちゃんとした議論ができなければいけない。そのような能力の有無が成績に直結してくるからだ。ツイートを連結させるだけでは有機的な文章は作れないのだ。思い出してみると、新書などを読むときでも、2、3行読んで理解して次へ、理解して次への連続で、その2、3行の文章同士のつながりを意識していないし、もっと大きいまとまりでどんどん捉え直していくような読み方ができていない。ディスコースマーカーね…名前は知ってるよ…。だからと言って構造的な文章をこのブログでずっとやり続けていくのは疲れちゃって更新しなくなるので意識はしておく程度に留めておくが。期末レポートのクオリティを上げたい!!

・話は少し変わるが、自分は(一人称が普段から自分なわけではなくこのブログにおいてどの1人称を使っていくかを決めあぐねているので、暫定的なものだ)小2くらいに初めてインターネットに触れ、小4で初ケータイ兼初スマホでアイフォンをもらった。ので、Twitterに登録した時期自体はかなり早かったのだが、まったく使い方が分かっておらず、中学生になってニコニコを見始める頃辺りまでリアルの知り合い以外のツイートを見たことがなかった気がする(幼少期の記憶が本当に曖昧なので本当にこうだったかは定かではない。覚えているのは、いつでも触れられる環境にあったにも関わらずエロ同人の違法アップロードサイト以外のインターネットにあまり触れていなかったことだけだ)(これは今でもそうだが、完全なROM専だったというか、5chにも直接は触れておらず、まとめサイトでず〜〜〜っと洒落怖を読んでた。ネットに参加するという意識が無く、ずっと柵の外から傍観していた)流石に中学生になってからは複垢も覚えて知り合い以外のアカウントをフォローしたりしたが、それも基本的に漫画家やイラストレーターで謂わゆるツイッタラー的なアカウントは追っておらず、クリエイター界隈のリツイートでたまに見かけるものだった。「絵師」は面白いツイートはしないが、トレンドには敏感なので、Twitterの情勢は把握できていたように思う。つまり、自分の追えているTwitterはここ7、8年程度である(一般的に見れば異常な長さだが)。

・何が言いたかったかといえば、自分も今回の「頻出ツイート100選」の記事はかなり楽しめたということだ(自分からは発信しないし、ネット友達もいないので特にダメージを受けることはなかった)。朝に見て、ブログを書こうと思ったら当該noteが消されていた。何故だ。ヘイトを買いすぎたのか。人類はそんなに本気でTwitterをやってない。

・それにしても、こんな記事をエイヤと作れてしまうのがすごい。こういうのを集めた自分メモでもあるんだろうか。キモ怖すぎる。本当にインターネットが内面化されているんだな。そんなにどっぷり浸かっていながらも自分の文体を保持し続けられるのがすごい。というか単純に飽きないのだろうか。まあ呼吸に飽きるかと聞くようなものか。にしてももう少し上質な空気を吸って欲しいものだ。

・インターネットは当初個人同士が自由に交流できるものだと思われていたが、実際はマスの強化にしかならなかったよねみたいな話がある。そういった大衆のうちの一つ一つが意思を持った人間なのだと考えると頭がおかしくなりそうだが、自分もその一つ一つの内の一つに過ぎないのだけれど、同時に自分にとって自分は無二の存在でもある。その機制を意識し続けて、大衆に無自覚に埋没することを拒否し続けるしかないのではないか。つまりメタ的な視点を持って意識的にバランス調整をしていくということだ、自分も他人も。

・ツイートもいいねもリツイートも反射でできてしまうから良くないのだ。最近、ツイートを書くだけ書いて下書きで保存してしまう。もやもやした思考を分析したいときは、文章に起こすだけでスッキリするからだ。その上で、それを他人にも共有したいかを考えると大抵ツイートはしなくなる。いいねもリツイートももっと複雑な手順を踏ませるべきだ。あるいは留保をさせるシステムを作った方がいい。Twitterのコンテンツは(Twitterだけでなくインターネット全般だが)その時に反応できなければ、それはもう自分の意識から溢れていき戻ることはない。タイムラインは一方向にしか流れない(何となく非択滅にする有部の主張を想起する。インターネットは刹那滅かもしれない)。そのようなシステムの中でどうして留保などできようか。

 

・ちょうど今日我が家にもさくらんぼが届いた。なんたる偶然か。

・ゾンビ最高〜。字幕で勝手にゾンビと書くのは良くないと思った。